バカと付き合うな(感想)

2019年11月9日

西野亮廣さんの言うことが腑に落ちた件・・・・

今日読んでいる本はこちら

バカとつき合うな

著:堀江貴文 西野亮廣

shyoz

正直尊敬している堀江さんと、キングコング時代しか知らない西野さんの共著を読んでいる。

たくさんキーワードはあるんだけど、その中で1つ、スッと胸に落ちた言葉があって、

ぐるねじはクリエイターじゃないのだけれど、消費者としてずっと思っていたこと。

それを西野さんがカッチリと言い当てていたので・・・う〜〜〜〜んと唸ってしまった。

つまり腑に落ちたのだ。

その内容は、

プロの変化球のつまらなさ。

そう。作曲家が専業で10年間毎日曲を作り続けている。それはものすごい経験値なんだけれど、実は本人は作ることに飽き飽きしているかもしれない。それに対してアマチュアは、「音楽を作ることが楽しい!」という初期衝動の喜びが曲に出ていて、多少荒削りであっても「抜け」感がある。逆に、プロの曲はエネルギーや面白みに欠ける場合がある。
音楽を始めたいけれど記事あも高い出す¥おるy。

さらに西野さんは書いています。その道の超一流の人が、その人の中で飽きてしまって、結果どうなるかというと、変化球を投げてくるという。けれど、それは自分にとって新鮮味があるというだけで消費者はそれを望んでいないと言うことが多い。クリエイターさんたちにはよくあるのではないか、これまでと同じアプローチを続けず、新しい方向性で挑んでみる。新鮮で楽しいかもしれない・・・けれどそれを望んでいる人はいない。と言う状況。わりと、いろんなジャンルに当てはめて言えることのように思う。

作り手である西野さんも、この新鮮味の誘惑に負けて、何からしら新しいことをしようとする自分がいる。と語っている。そんな中で、ありふれたフレーズを使い続ける作詞家の秋元康さんの素晴らしさを語っている。

結論として、

「飽きを理由に、先鋭化してしまうのは、三流。一方、秋元さんはアマチュア力を意識的に残している。それがプロですね」

と締めくくっている。短いが大変勉強になる内容だった。