(生き方)妖怪退治の仕事してるけど何か質問ある?で学んだこと
正直(しょうじき)とか正直(セイチョク)とかいう話
5、6年ほど前に、2ちゃんねるで読んだ話の中に、とても勉強になる内容のスレッドがあった。
オカルトの話で、フィクションなのかノンフィクションなのかわからない内容の
「妖怪退治の仕事してるけど、何か質問ある?」というタイトルのスレッドで、
妖怪退治を生業にしているスレ主さんが、自分の体験したエピソードを赤裸々に語るというスタイルのものだった。
スピリチュアルな内容だけに苦手な人にはオススメしないが、
個人的に読み物として面白く、
そして人生論や別の眼を持つ意味では勉強になるものだったので紹介したい。
そのスレッドの主さんが、(妖怪退治の)先生と呼ぶ人物がめずらしく酒によって饒舌に話をした、
というエピソードの中で興味深い話があった。
実際のスレッドを見てもらうのが一番だが、
依頼主の要請で、とある家の妖怪退治をしたそうだ。
その家、実は子どもが虐待を受けていて妖怪は実はその子どもを庇っていた節がある・・・。
だが、先生はそのことに気付いていながらその家から妖怪を追い出したんだ。
以下はほぼ引用です。
「お前、おれのやっていることがあくどいとおもいうか?」とスレ主に聞いた。
すぐにスレ主は頷いた。
先生は自分でもたまに
「自分のやっていることが少し残酷じゃないかと思うことがある。でも、たとえそうだとしても、後悔はしていない。」
「なぜなら、それは間違いなく自分のその時にやりたいと思ったことだからだ。」
「人間はセイチョクに生きるのが一番だ。」と、
スレ主は「セイチョクって何ですかと聞いた。」
先生は「セイチョクってのは『正直』とかいて『セイチョク』と読むんだよ。でも勘違いするな、セイチョクは『ショウジキ』じゃない。「ショウジキ」はお坊さん用語で、嘘をつかないことを指している。
お坊さんたちの世界ではウソをつくと地獄におちる。例えそれが人のためのウソでもだめだ。まぁ、お前も酒が飲める歳になったから、世の中には『良いウソ』ってものがあるくらいしっているだろうけど、でも、そんなことお構いなしに、ついたら地獄。だからウソをつかずに『ショウジキ』にいないとだめだ。
でも、セイチョクは違う。セイチョク正直、文字通りまっすぐであるという意味だ。
何にまっすぐか、そりゃあ、自分の心にだよ。
そして、先生は、昔のすごい人で孔子って人の話をしてくれた。
ある日、孔子がある国の王様と話をしていたら、その王様が
「うちの国のものはみんな正直だ!例えばAの家の父親がBの家のヤギをぬすんだ
すると、Aの家の息子さんが、自分の父親が盗んだと証言したんだ」
すると、孔子はこう答えた
「私が思う正直はそうではありません。もし親が盗みを働いたら、子供はそれを隠くし
子供が盗みを働いたら、親はそれを隠ぺいする。これが本当の意味での正直だ」
と。
自分の心に素直に従って行動する。
これがとても大切だ。妖怪と接する際も、人間と接する際もこれだけは変わらない。
自分の本当の心に従うんなら、うそついても、ごまかしても、なんか悪いことをしても
それはしかたないことだ。自分の本心なんだから。
セイチョクに生きるとどうなるかというと「満足」する。
「満足」している状態こそが一番心にとっていい状態で
それこそ、幽霊や妖怪なんて目じゃない。
「破ァ」でそういうのを追っ払うとか言う話があるけど
あれこそ真の意味で「満足」している人間だからこそできることが。
とかなんとか、確かそういう話をされた。
でも、そこで俺はふっと疑問を抱いた。
そして先生に、なら自分の心の欲するままに行動すればいいなら
セッ○スしたいならレ○プすればいいし、ものがほしいなら盗んだり奪ったりすればいいけど
そういうのも仕方ないの?
すると先生は
それはいい質問だ。といった。
自分の心の欲望を満たすために好き放題やる。
しかし、これも心にとっては良くないことだ。
なぜかというと、心が「満足」を忘れてしまう。
いつの間にか心の中ではいつも「もっと、もっと、次は、次は」とひたすらそれだけになってしまう
これが、「魔」だ。
お前は霊感ないし、術とかそういうものとも無縁だろうが、この魔というのが
この業界の人間を滅ぼす一番の理由だよ。
いつの間にか心が欲望だけになった、満足することも、自分の心の目指すべき本当の道も
見失って、最後は妖怪よりもみじめなものになってしまう。
その頃にはもう先生から道とかの話しをされていたんだが
それについても、先生は触れた。
魔は、道をくもらす。
昔の修業するやつらはよく厳しい訓練とかしたりするんだけど
なぜかというと、この魔を産まないためだ
しかし。まがさす、という言葉のように。魔は駆除できるものではない。
ならどうすればいいのか。中国では無為自然という言葉がある。
なにもしない、何ともかかわらない。
そうすれば、魔はうまれない。
でも、これも無理だ。当たり前だが、なにもしないとか、死んじゃうwwww
じゃあ、どうするべきか。
まずは自分の心の中の魔を見つけて、それと向き合うこと。
自分の醜いこと、ダメなとこ、そういうのをちゃんと受け止めること。
それで卑屈にならないこと、なんか妙に自信かになったりしないこと。
あるべき現実をあるべきように受け止めて。
そして、それに振り回されて一喜一憂しないこと。
それができて初めて、人間としては一人前。
で、そこからも大切だ。
魔を駆除ぜず、手を引いて、自分の心の敷いたレールの上をゆく。
これが本来の意味のセイチョクだ。
しかし、自分ひとりだけで生きていく場合ならこれでいいかもしれないが
世の中にはたくさんの人間がいて、その人たちと関わり合いを持ちながら
我々は生きていかねばならない。
この時、他人がわれわれの心をぶらしてくる。
例えば、どっかの会社のサラリーマン。自分の本心を保っているとしても
例えば嫌な上司がいて、その前で嫌なのにぺこぺこしたりする。
すると、自分がどんどんと自分の本心が嫌になってしまう。
そして、いつの間にか本心を拒絶してしまい。
セイチョクどころか、魔でさえも直視しない。
これが今はやりの「鬱」だ。
じゃあ、どうすればいいか?
そんなのわからん。わかっていたら私もとっくに「聖人」だ。
方法は自分で探すしかない。
〜ここまで引用
という、セイチョクの意味。とても胸にスッと落ちた。
私もセイチョクで生きようと思った。5年以上前の話だが、いまだにぐるねじの心の中に残っている。だからきっといい言葉だと思う。みんなにも知ってもらいたいと思うので、わざわざ引っ張り出して書いてみたよ。一番は、自分が生きる上での指針となることをブログにも書き留めておきたかった、というのがあるが。
こういった類の生きていく上での指針となるような感性に訴える言葉が数多く出てくるこの話。まだいくつも面白い、興味深いエピソードやキーワードが登場するので、そのうち書こうと決めている。
今日はこの辺りで止めておくよ。
本当にオススメの話なんだ。
Posted from SLPRO Z
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