(シンパパ)シングルファザーになって1年。「家庭」って?

シングルファザーを1年続けてみてのホンネ

(シンパパ)シングルファザーになって1年。「家庭」って?

息子と二人だけの生活になってから1年が経過したので、ちょっと思っていたことを書いてみました。
「家庭」という言葉についてです。

今の家庭環境について

今、私の家がどうなのかを話すと、

私(父親)と、9歳の息子の二人の生活。
私は平日はフルタイムで仕事をする会社員。
息子は徒歩10分の小学校に通うごく平凡な少年だ。

たまに母親と息子は会っているし、
母親の家に泊まりに行ったりもしている。

あなたはこう思うかもしれません。
子どもがかわいそう。
子どもにとって母親は大切な存在。
それがないことが、どんなに子どもにとって良くない状態だろう、と。

でも、、現実は現実。

私だって、息子が何を感じているのか、はっきりとわかるわけではないし、
それは息子にしかわからないことだと思います。
いえ、息子にも、はっきりとわからないかもしれません。

一般論では、「両親そろって育てないといけない」「片親育ちには問題がある」とレッテルが貼られるのは仕方ないことですが、それって本当にそうでしょうか?

私が、この生活を選んだのは、

「そうじゃない」と感じたからだろうと自分なりに分析しました。

夫婦間がうまくいっていない家庭の空気は、全く癒されないまさに「嫌な空気」です。
「夫婦喧嘩は犬も食わない」と言った言葉もあるくらい、に激しくストレスフルな空気が流れています。

子どもは両親とも、大好きです。親ですから。

ですが、その空気の中にずっといるのはどうでしょうか。
私はそちらのほうが悪影響だと考えています。

でも私が家をでたのは、子どものことを考えて。というわけではありません。
私自身が、ここは「家庭」じゃないと判断したからだと思います。

夫婦というのはもともと他人なんです。
文化も価値観も違うし、お互いがうまくやろうと努力しなければうまくいくはずがありません。これは経験上本当にそう思います。夫婦であれパートナーであれ相手を思いやる気持ちがなければ続くはずがないのです。どんなに相手のことを愛おしく思っていても、それは永遠ではないのです。必ず一緒にいることを普通に感じてしまう時がきますし、鬱陶しく感じる時だって訪れるのです。

結果、私はうまくパートナーとお付き合いすることができませんでした。
それは半分私の責任だと思うし、もう半分は相手の責任だと思っています。
  

自分が自分でいられる場所が「家庭」

(シンパパ)シングルファザーになって1年。「家庭」って?

「家庭」とはこうあるべきだ。と私なりの持論があります。
もちろんこれは私の意見なので押し付ける気持ちはありません。

私の考える「家庭」とは「自分が自分のままでいられる場所」です。
だらしない自分でも、素敵な自分でも、ありのまま受け入れられる場所こそが「家庭」だと思います。
血縁関係がなくたって「家庭(HOME)」だと思います。
自分が自分のままでいられるコミュニティに複数所属している人ならそれは、家庭が2つあると言えます。

だからこそ、
「自分が自分でいられない場所」はすでに「家庭」とは言えないと思います。

両親と子どもで共に暮らしていたとしても、
お互いを認めていない夫婦がいがみ合う家は、「家庭」と言えるのでしょうか。
私は「NO」だと思います。

そして、私の家はそうでした。
私は、受け入れられていませんでしたし、
私も、相手を信用できなくなりました。

そんな状態でも子どもは両親のもとにあるべきでしょうか?
これも私の答えは「NO」でした。

だから、私なりに考えて、家を出て今は、初めは一人でしたが、
自然と息子がこちらで生活するようになり、今は息子と二人です。
ですが、寂しいことはないと考えています、私にはたくさんの仲間がいます。
幸いなことにこんな私を受け入れてくれるコミュニティが私にはありました。

でも、ひとり親じゃ不便だし困るでしょう、という声が聞こえそうですが、
不便=不幸ではありません。
不便と不幸には関連性がないとすら考えています。

息子に不便な思いをさせている、酷い親だと罵倒されるかもしれませんが、
息子の意思で「母親に会いたい」と思うなら極力私は会わせるし、それは子どもには必要な行為だから協力します。
私の責任で不便な生活を強いている、というお叱りは確かにありますが、
子どものために自分が犠牲になって生きる人生って、正しいですか?
私はそう思いません。
それこそ私の人生のスローガンは「セイチョクに生きること」
つまり、自分の思うままに生きることです。
これは息子のことよりも私が勝手にすることを優先する。という誤解を招きそうですが違います。
息子のことも大切。私自身の人生も大切。
でも、私が犠牲になることで息子が幸せになるということは決してないと思います。
私が目指すのは、私も息子も幸せになるということです。
だから、私は家を出ました。

もう1年が経過しました。
思いを整理してみると、
確かに多くの人に迷惑をかけてしまったり、
息子にも情けない思いをさせてしまったかもしれません。

ですが、それも私がそうしたいと望んだ道の上の出来事です。
だから、今後もこの調子で、私の家庭が満たされるように生きていこうと思います。

みなさんはどうでしょうか?
自分の心が望むままに、生きることができていますか?